カボチャ団体の陳情。
2020年06月15日(月)
前回の続きです。
大正12年9月に東京を襲った関東大震災。この翌年、東京の復旧・復興予算確保のため、石北線建設が凍結されました。それは困ると、遠軽村では国会へ直接請願するための石北線鉄道速成陳情団が結成され、東京へ出発。自己負担金50円と、当時の小学校教員初任給にあたる金額も厭わず陳情に出た遠軽の人々に、なんと1万円という高額の援助がありました。支援したのは、当時、東洋のパン王とも呼ばれた水谷政次郎。水谷は大阪のパンメーカー「マルキパン」の創始者で、北海道産小麦の品質に着目、足寄で品種改良を行っていました。その後、石北線開設による輸送を見込んで丸瀬布の農場を買収し、遠軽に事務所を構えていたのです。水谷からの援助があり、陳情団は自己負担金を出すことなく、運動へ専念することができました。しかし、それでも経費は切り詰めなければいけません。国会へ陳情を続ける間、彼らは俵に詰めて地元から貨物列車で送ったカボチャを煮炊きし、弁当箱に詰めて食べていました。その姿はマスコミの目に留まり「カボチャ団体の陳情」として新聞にも掲載。鉄道省仙石大臣への団交では「この鉄道が建設されなければ、米どころかカボチャさえ食べられず、飢え死にするしかありません」と陳情団団長が訴え、「団長の言う通りです」と団員が男泣き、警備に立つ警官ももらい泣きをしたのでした。その様子は新聞に取り上げられ、世論も注目。大臣は、工事計画を再検討することを約束しました。流通への大きな熱意が、国を動かしたのです。
昭和7年の石北線全線開通により、名寄本線(平成元年廃線)との分岐点でもある遠軽にはあらゆる物資が行き交い、計り知れない経済効果を生みました。
様々なものを運ぶ、鉄道貨物輸送。体内で血液が循環するかのように、鉄路によって日本の隅々に各地のモノと思いが運ばれています。その中には、物流への大きな期待を背負って誕生した路線があることも忘れてはなりません。
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