タマネギ列車!
2020年06月01日(月)
以前『天高く今肥ゆる秋!』でもご紹介した、北海道産タマネギの一大産地である北見エリアからは、夏の終わりの収穫シーズンから翌年の雪解け時期まで、たくさんのタマネギを乗せた臨時列車が走ります。石北臨貨、あるいは分かりやすくタマネギ列車とも呼ばれるその列車は、峠越えや途中の遠軽駅でスイッチバックするため、両端にディーゼル機関車を繋げたプッシュプル運転を行っています。貨物列車ファンにも人気で、私も丸瀬布や留辺蘂近くのカーブで撮影をし、とても興奮しました。
JR北海道の経営状況は厳しく、タマネギ列車が走る石北本線も営業係数(100円の営業収入を得るためにどれだけの営業費用が必要かを表した指数。石北本線の営業係数は324。100円の収入を得るのに324円が必要)の悪化や施設の老朽化等から「単独では維持することが困難な線区」として挙げられています。一鉄道ファンとしてはなんとか存続を続けてほしいと思っていますし、元通運の立場としても、全てが鉄道コンテナを利用したトラック代行輸送へ転換されたとして、ピーク時の農産物輸送を捌ききれるのか、鉄道での輸送から離れてしまわないかという心配もあり、今後の動向が気になります。
石北本線は新旭川から遠軽を経て網走まで至る234.0kmの路線で、昭和7年に全通しました(全通時の路線名は石北線)。複数の路線が繋ぎ合わされて完成したこの路線建設の歴史において、欠かせない存在があります。それが通称「カボチャ陳情団」です。2回にわたり、石北線の建設とカボチャ陳情団の鉄道貨物輸送への思いについてお伝えします。
大正の初め、遠軽地区は交通の便が悪く、物資の輸送費がかさんでいました。輸送コストがかかるため生産物の市場性も低く、換金作物の栽培にも取り組みにくかったのです。大正4年に旭川から北見を繋ぐ鉄道路線の開発期成同盟が立ち上がり、同年にオホーツク海沿岸の湧別と鉄路で結ばれた遠軽村も参加。大正9年に石北線上川~遠軽間が議会承認され、大正11年には旭川と上川が結ばれます。さあ、ここから遠軽へと繋がって物資を円滑に運べる…と思っていた矢先の大正13年、石北線の工事が突如凍結されました。前年に起きた関東大震災からの復興予算確保のため、日本中のあらゆる事業計画がストップしたのです。石北線の建設も例外ではありませんでした。物流を支える新規路線は、村の悲願。遠軽村では、国会へ直訴するための陳情団が結成されました。
次回『カボチャ団体の陳情。』へ続きます。
多治見通運の鉄道コンテナ輸送についてはこちらをご覧ください
http://www.tajimituuun.co.jp/railway-container.html