鉄道貨物輸送のオフレール部分の歴史
2020年12月02日(水)
第46回『オフレールの距離感の違い』では、鉄道貨物輸送のオフレール部分、トラックでコンテナを輸送する際の集配距離の計算は、1区(10km)、2区(20km)、3区(30km)、それ以降は40kmは外10km、50kmは外20km…と10km刻みであることをお伝えしました。この区切りや考え方についても、これまでの歴史の中で様々な変遷を経ています。
鉄道コンテナ輸送の嚆矢は、1959(昭和34)年に運行を開始した専用特急貨物列車「たから号」です。小口扱い貨物の特殊扱いとして汐留(東京)〜梅田(大阪)間で運用が行われ、当時の集荷配達は駅から半径20kmの範囲内に限られていました。
この頃の区域設定は5km刻みで、駅から5kmまでが「特別区域」。そこからは10kmまでが第1区域、15kmまでが第2区域、20kmまでが第3区域となっていました。あくまでも小口扱いの一種としての位置づけで、区域も集配距離も短いのが特徴です。その後、国鉄貨物輸送の近代化方策として、イギリス国鉄で1965(昭和40)年に採用された新方式「フレートライナー」が日本にも導入されます。
これは、鉄道輸送のもつ大量、高速性とトラック輸送のもつ機動性を活かした複合一貫輸送であり、現在のコンテナ輸送の礎となったものです。1969(昭和44年)に東京〜大阪間で輸送を開始し、集荷配達は半径30kmまでで、10km単位に区域設定がなされました。これが、10km単位の3区制のはじまりです。1973(昭和48)年には、3区を超えるものは10kmまでを増すごとに加算されるという形となりましたが、その後、1975(昭和50)年に3区までの設定はそのままで、それを超える集配距離について「3区の境界線と荷主の指定する場所までの間の通常走行する経路の実キロ程によること」と規定されました。
さらに1984(昭和59)年には、取扱駅からの半径距離の考え方が消え、駅から集配箇所までの経路の実キロ程で計算されるようになります。これは、コンテナ輸送が「戸口から戸口まで」の責任を国鉄が負い、集荷や配達に関しては通運事業者へ下請けする形で行われていたものが、国鉄の取り扱いが駅までとなり、駅から集配先までの管轄が通運事業者によるものになったからです。
国鉄民営化を経て規制緩和が進み、1990(平成2)年には貨物運送取扱事業法が施行されます。これにより、運賃料金は認可制から届出制となり、原則自由化されました。とはいえ、1区2区という概念は今も通運業界では息づいており、駅からどれくらいの距離かを着通運へ訊ねる場合には
「すみません、ここって何区ですか?」
という言い方をします。
コンテナ輸送が始まった頃から、キロ数は違えど3区までの呼び方がずっと息づいていることに、個人的にはとてもロマンを感じます。
多治見通運の鉄道コンテナ輸送についてはこちらをご覧ください
http://www.tajimituuun.co.jp/railway-container.html